2013.01.22
広くて狭い世界
広くて狭い世界、
こんにちわ。
友達がFacebookで面白い記事を書いていて面白いと思ったので便乗してブログ書きました。
この記事のメインターゲットは10代、20、30代の人です。
はい、全くその通りだと思います。
「我々は個人として生きる時代を日本人としてどう生き抜くか」
この言葉の矛盾に気づけるかどうかが、鍵になると僕はいつも思っています。
万が一に備えて、海外で生活ができる柔軟性は持つべきだと思います。
個人として、世界中どこでも生きていける人間になるってのが俺の20代の目標でした。
30代の目標の「アジア人の力を白人に見せつける」ってのに、そろそろ掛かりたいと思います。
さて、今後変わり行くグローバル(←この言葉は嫌いw)な社会にどう対応していくか
つまりはどうやって外国で生活できるようになるか
1.英語
2.現地の物を食べるスキル
3.専門知識・技術
この三つだと思います。
1.英語
若い人は命懸けで英語を勉強するべきです。
いままで日本の多くの産業は日本語の壁に守られっぱなしでした。
せっかく日本語という壁で守られてきた環境を、海外移転等で日本企業はわざわざ自ら壁を壊してしまったような印象を受けます。
流出は止まらないでしょう。また逆流も。
途上国で安定した電力を提供され物が安く作れるならば日本の雇用は減って当たり前です。
話はそれますが
これから日本の中小企業に就職する人は、
・その企業が海外展開する予定はあるか?
・もしYesなら外国語で契約書が書けるか?
上記を確認したほうがいいです。具体的な問題なんですよ。
外国語で契約書書けないって多くの中小企業が抱えてる問題です。
残業代は出ますかー(^q^)
とか聞いてる場合じゃないです。
残業代は労働基準局に介入してもらえば絶対でるので心配しないでください。
さて、どうやって英語を勉強するか。
まずはこれ
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4774300004/ref=oh_details_o01_s00_i00
次にこれ
http://www.amazon.co.jp/%E7%B7%8F%E5%90%88%E8%8B%B1%E8%AA%9EForest-6th-%E7%9F%B3%E9%BB%92-%E6%98%AD%E5%8D%9A/dp/4342010402/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1358859969&sr=1-1
この二つを徹底的にやりましょう。
これで日常会話以上の会話ができるはずです。
日常会話って意外と難しいですよ。話は多岐にわたるし、話すトピックがないと母国語でも話せない。
僕の場合は日本の防衛・総合安全保障についてならば3日間はぶっ通しで話し続けられますね^^
いま話題のフィリピン留学ですが、全く推奨しません。
多くの人が短期で語学留学をするようですが、短期留学は英語習得にはほとんど意味ないです。
最低でも1年は行かないとビジネス利用に耐えられる英語は身につきません。
ただ、オンライン英会話は安いし効果的かと思います。
2.現地のもの食え
実際に外国で生活するに当たり、現地の物をおいしいおいしいと食べることが一番簡単なリスペクトの表し方です。
これはうちが多くの外国人をホームステイで受け入れた経験から言ってます。
僕の作ったお茶漬け(お茶漬けの元に熱湯掛けて完成)を全部食べきる外人は可愛いです。
現地の人に受け入れられない生活はかなり悲惨ですよ。
30代、40代から外国に行って異文化の料理を食べても美味しく感じないかもしれないので
早めに異文化の味に慣れておきましょう。これは若いうちに外国を旅するのが手っ取り早いですね。
食文化はとても大切なものです。現地の人が大事にしてるものは大事にする習慣をつけましょう。
3.専門知識・技術
1の英語と組み合わせることによって、効果が発揮されます。
将来どんな専門知識や技術を身につければいいかは、正直分かりません。
時代はものすごいスピードで移り変わって行ってるので、常にアンテナ張っておいてくださいとしか言えません。この項目については未来のことは分かりません。ごめんなさい。
不変の法則は、床屋と料理人でしょうかね。あとは世界最古の職業として占い師と売春くらいでしょうか。
終身雇用の名残か、一生食っていける資格特集!みたいのがありますが、そんなのは幻想だって事を念頭に置いてみてください。
ただやはり、専門知識や技術がないと、いいお金は稼げません。
まとめ
いずれ海外に出る必要のある人間はこれからどんどん増えると思います。絶対に役に立つのが英語です。
どうせ出るんだから早めに出てみましょう。一人旅は最も有効な手段です。
ただ、俺も日本人としてこの国が好きです。
「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」
なんて小説書かれちゃう時代はもう終わりにしたいと思います。
今回書いたのも、一つのアイディアだと思います。
俺達の世代でもっと色々考えてみませんか?
次の世代のためにも希望は残しましょうよ。
こんにちわ。
友達がFacebookで面白い記事を書いていて面白いと思ったので便乗してブログ書きました。
この記事のメインターゲットは10代、20、30代の人です。
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今朝、人生の先輩に
「今後の日本のことを考えて、娘さんになんて伝えてますか?」
と、ポツリ聞いたら、
「海外に出ろと言ってるよ」
と。
人口、GDP、増税、社会保障、企業競争力、政治などなど、日本に固執していてはダメだと教えてくれる数字はたくさんあります。
お昼は20代の女の子とランチしてましたが、やっぱり不安に思うことは一緒。
言葉、食文化、通貨、環境など、海外耐性をつけておく重要性は今後もどんどん増していくんでしょうね。
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はい、全くその通りだと思います。
「我々は個人として生きる時代を日本人としてどう生き抜くか」
この言葉の矛盾に気づけるかどうかが、鍵になると僕はいつも思っています。
万が一に備えて、海外で生活ができる柔軟性は持つべきだと思います。
個人として、世界中どこでも生きていける人間になるってのが俺の20代の目標でした。
30代の目標の「アジア人の力を白人に見せつける」ってのに、そろそろ掛かりたいと思います。
さて、今後変わり行くグローバル(←この言葉は嫌いw)な社会にどう対応していくか
つまりはどうやって外国で生活できるようになるか
1.英語
2.現地の物を食べるスキル
3.専門知識・技術
この三つだと思います。
1.英語
若い人は命懸けで英語を勉強するべきです。
いままで日本の多くの産業は日本語の壁に守られっぱなしでした。
せっかく日本語という壁で守られてきた環境を、海外移転等で日本企業はわざわざ自ら壁を壊してしまったような印象を受けます。
流出は止まらないでしょう。また逆流も。
途上国で安定した電力を提供され物が安く作れるならば日本の雇用は減って当たり前です。
話はそれますが
これから日本の中小企業に就職する人は、
・その企業が海外展開する予定はあるか?
・もしYesなら外国語で契約書が書けるか?
上記を確認したほうがいいです。具体的な問題なんですよ。
外国語で契約書書けないって多くの中小企業が抱えてる問題です。
残業代は出ますかー(^q^)
とか聞いてる場合じゃないです。
残業代は労働基準局に介入してもらえば絶対でるので心配しないでください。
さて、どうやって英語を勉強するか。
まずはこれ
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4774300004/ref=oh_details_o01_s00_i00
次にこれ
http://www.amazon.co.jp/%E7%B7%8F%E5%90%88%E8%8B%B1%E8%AA%9EForest-6th-%E7%9F%B3%E9%BB%92-%E6%98%AD%E5%8D%9A/dp/4342010402/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1358859969&sr=1-1
この二つを徹底的にやりましょう。
これで日常会話以上の会話ができるはずです。
日常会話って意外と難しいですよ。話は多岐にわたるし、話すトピックがないと母国語でも話せない。
僕の場合は日本の防衛・総合安全保障についてならば3日間はぶっ通しで話し続けられますね^^
いま話題のフィリピン留学ですが、全く推奨しません。
多くの人が短期で語学留学をするようですが、短期留学は英語習得にはほとんど意味ないです。
最低でも1年は行かないとビジネス利用に耐えられる英語は身につきません。
ただ、オンライン英会話は安いし効果的かと思います。
2.現地のもの食え
実際に外国で生活するに当たり、現地の物をおいしいおいしいと食べることが一番簡単なリスペクトの表し方です。
これはうちが多くの外国人をホームステイで受け入れた経験から言ってます。
僕の作ったお茶漬け(お茶漬けの元に熱湯掛けて完成)を全部食べきる外人は可愛いです。
現地の人に受け入れられない生活はかなり悲惨ですよ。
30代、40代から外国に行って異文化の料理を食べても美味しく感じないかもしれないので
早めに異文化の味に慣れておきましょう。これは若いうちに外国を旅するのが手っ取り早いですね。
食文化はとても大切なものです。現地の人が大事にしてるものは大事にする習慣をつけましょう。
3.専門知識・技術
1の英語と組み合わせることによって、効果が発揮されます。
将来どんな専門知識や技術を身につければいいかは、正直分かりません。
時代はものすごいスピードで移り変わって行ってるので、常にアンテナ張っておいてくださいとしか言えません。この項目については未来のことは分かりません。ごめんなさい。
不変の法則は、床屋と料理人でしょうかね。あとは世界最古の職業として占い師と売春くらいでしょうか。
終身雇用の名残か、一生食っていける資格特集!みたいのがありますが、そんなのは幻想だって事を念頭に置いてみてください。
ただやはり、専門知識や技術がないと、いいお金は稼げません。
まとめ
いずれ海外に出る必要のある人間はこれからどんどん増えると思います。絶対に役に立つのが英語です。
どうせ出るんだから早めに出てみましょう。一人旅は最も有効な手段です。
ただ、俺も日本人としてこの国が好きです。
「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」
なんて小説書かれちゃう時代はもう終わりにしたいと思います。
今回書いたのも、一つのアイディアだと思います。
俺達の世代でもっと色々考えてみませんか?
次の世代のためにも希望は残しましょうよ。
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2012.06.13
【本を読んで思ったこと】幸福途上国ニッポン
幸福途上国日本
最近読んだ本で、非常に面白い本があったので紹介したい。
世の中に溢れる、精神論満載の本とは違い、金融出身の著者が様々なデータを用いて
宗教や、経済、精神病発生率、などの観点から幸せとは何かを再発見させる本。
日本てどうなんだろね?
俺の目から見て日本の生活インフラは本当に素晴らしい。
ご飯はうまいし、高いレベルの文化が簡単に誰でも手に入る。
世界最高水準の給料を手に入れることができて、格差なんて微々たる物だ。
外の公園に設置されてる水道は、そのまま飲めるほど清潔な水が出てくる。
安全で、清潔で、同じ民族で同じ言語を喋るこの日本が大好きだ。
しかしこの国の人たちが(もちろん俺も含めて)幸せか?というとかなり微妙らしい。
少なくとも朝の電車に乗るビジネスマン達の顔からは表情が消えて、とても幸せそうには見えない。
日本には各種性風俗産業や、ギャンブル、いわゆる癒しを生む産業がたくさんある。
これはただの溜まったストレスへの対処であって、根本的な解決にはならない。
日本の特徴の一つに、協調性。というのがあるが
悲しいことに言い換えれば、異質な個人を寛容しない。ということでもある。
協調性の反対語は、おそらく多様性。
男女間の格差の小ささはもちろん、同性間の結婚まで認められているような国は、総じて幸福度が高いらしい。
多様性の意味するものは、「個人の選択の自由」だ。
当たり前だけど、自分の人生を自分でコントロールできるってのは幸せだ。
当たり前すぎて忘れがちだけどね。
著書より
Q:楽しい時間を過ごすことが重要ですか?
という質問に、「非常に重要」と回答した日本人は1.8%、これは世界51カ国中ダントツ少ない。
Q:新しいことを考え、クリエイティブなことは重要ですか?
という質問に、「非常に重要」と回答した日本人は5.6%、これは世界51カ国中50位。
旅の途中で、幸せとは何か?という疑問を考え続けた。
安宿のベッド、国境を越えるバスの中、スコールを眺めながら、最高の波が割れているビーチで
様々な場所で、最高の時間を過ごした夜、現地の空気を吸いながら
時には孤独に押しつぶされそうになりながら、思考を巡らして書き続けた。
色んな生活を見た。色んな人がいた。現地人も旅人も、個性が強い人ばっかりだった。
ボロボロになるまで書き続けた。思ったこと、感じたことを何冊も文字に起こした。

どうすれば幸せに過ごせるか?
メモ帳にはこう書いてある。
「幸せの最低条件ってのは自由であることだと思う。
別の言い方をすると、自分の自由を放棄しないこと。
つまり、まずは、自分の自由に気づく事。」
(自分自身を縛り付けてるのは、実は自分だったりする)
まずはそこからじゃないですかね?
そんな悪い国じゃないよ日本は、少なくとも俺はそう信じてる。
(教訓はFuck世間の目だぜ!!)
最近読んだ本で、非常に面白い本があったので紹介したい。
世の中に溢れる、精神論満載の本とは違い、金融出身の著者が様々なデータを用いて
宗教や、経済、精神病発生率、などの観点から幸せとは何かを再発見させる本。
![]() | 幸福途上国ニッポン 新しい国に生まれかわるための提言 (2011/06/24) 目崎 雅昭 商品詳細を見る |
日本てどうなんだろね?
俺の目から見て日本の生活インフラは本当に素晴らしい。
ご飯はうまいし、高いレベルの文化が簡単に誰でも手に入る。
世界最高水準の給料を手に入れることができて、格差なんて微々たる物だ。
外の公園に設置されてる水道は、そのまま飲めるほど清潔な水が出てくる。
安全で、清潔で、同じ民族で同じ言語を喋るこの日本が大好きだ。
しかしこの国の人たちが(もちろん俺も含めて)幸せか?というとかなり微妙らしい。
少なくとも朝の電車に乗るビジネスマン達の顔からは表情が消えて、とても幸せそうには見えない。
日本には各種性風俗産業や、ギャンブル、いわゆる癒しを生む産業がたくさんある。
これはただの溜まったストレスへの対処であって、根本的な解決にはならない。
日本の特徴の一つに、協調性。というのがあるが
悲しいことに言い換えれば、異質な個人を寛容しない。ということでもある。
協調性の反対語は、おそらく多様性。
男女間の格差の小ささはもちろん、同性間の結婚まで認められているような国は、総じて幸福度が高いらしい。
多様性の意味するものは、「個人の選択の自由」だ。
当たり前だけど、自分の人生を自分でコントロールできるってのは幸せだ。
当たり前すぎて忘れがちだけどね。
著書より
Q:楽しい時間を過ごすことが重要ですか?
という質問に、「非常に重要」と回答した日本人は1.8%、これは世界51カ国中ダントツ少ない。
Q:新しいことを考え、クリエイティブなことは重要ですか?
という質問に、「非常に重要」と回答した日本人は5.6%、これは世界51カ国中50位。
旅の途中で、幸せとは何か?という疑問を考え続けた。
安宿のベッド、国境を越えるバスの中、スコールを眺めながら、最高の波が割れているビーチで
様々な場所で、最高の時間を過ごした夜、現地の空気を吸いながら
時には孤独に押しつぶされそうになりながら、思考を巡らして書き続けた。
色んな生活を見た。色んな人がいた。現地人も旅人も、個性が強い人ばっかりだった。
ボロボロになるまで書き続けた。思ったこと、感じたことを何冊も文字に起こした。

どうすれば幸せに過ごせるか?
メモ帳にはこう書いてある。
「幸せの最低条件ってのは自由であることだと思う。
別の言い方をすると、自分の自由を放棄しないこと。
つまり、まずは、自分の自由に気づく事。」
(自分自身を縛り付けてるのは、実は自分だったりする)
まずはそこからじゃないですかね?
そんな悪い国じゃないよ日本は、少なくとも俺はそう信じてる。
(教訓はFuck世間の目だぜ!!)
2012.04.22
いつか
人間いつか必ず死にます。
インドの焼かれてる死体を見て
俺の番はいつだろう。
と強烈に痛感しました。
良い意味でも、悪い意味でも
俺も
あなたも
必ずいつか死にます。
人生は一回きりです。
楽しみましょうよ!!
インドの焼かれてる死体を見て
俺の番はいつだろう。
と強烈に痛感しました。
良い意味でも、悪い意味でも
俺も
あなたも
必ずいつか死にます。
人生は一回きりです。
楽しみましょうよ!!
2012.04.02
寝言
生活に必要なものを
もうほとんど手に入れてしまったことに気づいた。
2年半前、旅から帰ってきて
すぐに日本の生活に飽きてしまった。
「3ヶ月に一回くらい、俺か敵が血を流すような環境に住みたい」
と心から思っていた。
フランスの外人部隊を受けに行くことも考えた。
だが闘争本能を満たしてくれる空手に出会ってから
血を流す欲求は抑えられるようになった。
なぜそんな欲求が芽生えるか。
生活に必要なものをほとんど手に入れてしまったからだ、と思う。
僕の日本製の車も、まだエンジンの調子は良い。
遊ぶためのおもちゃも、大事に使う性格だから長持ちする。
食っていくためのスキルや経験も、手に入ってしまった。
正直、これ以上欲しいものがない。
今、僕は独り身で実家に住んでいて
今の環境を維持するには月収10万円くらいあれば
米農家とその収入を合わせて
十分豊かに生活ができる。
多分、結婚して家族ができれば
必要なものも変わってくるだろう。
お金の使い方も変わるはずだ。
もう十分に訓練を積んだと思う。
バリでこんな話をした。
「必要なものは全て手に入れたよ。
だからこうやって旅してる余裕がある。
日本に帰ったら結婚相手を探して小さな家族を作ると思う。
ささやかでいいし、自然に囲まれて過ごしたい。
もう少し揉まれてからで良いかも知れないけどね」
と言ったのを当時の日記を読み返して思い出した。
そろそろ落ち着く頃じゃないかと
僕は自問自答しながら過ごしている。
やっぱりね、分け合ってなんぼ なんですよ。
楽しみや苦楽も、幸せも。
もうほとんど手に入れてしまったことに気づいた。
2年半前、旅から帰ってきて
すぐに日本の生活に飽きてしまった。
「3ヶ月に一回くらい、俺か敵が血を流すような環境に住みたい」
と心から思っていた。
フランスの外人部隊を受けに行くことも考えた。
だが闘争本能を満たしてくれる空手に出会ってから
血を流す欲求は抑えられるようになった。
なぜそんな欲求が芽生えるか。
生活に必要なものをほとんど手に入れてしまったからだ、と思う。
僕の日本製の車も、まだエンジンの調子は良い。
遊ぶためのおもちゃも、大事に使う性格だから長持ちする。
食っていくためのスキルや経験も、手に入ってしまった。
正直、これ以上欲しいものがない。
今、僕は独り身で実家に住んでいて
今の環境を維持するには月収10万円くらいあれば
米農家とその収入を合わせて
十分豊かに生活ができる。
多分、結婚して家族ができれば
必要なものも変わってくるだろう。
お金の使い方も変わるはずだ。
もう十分に訓練を積んだと思う。
バリでこんな話をした。
「必要なものは全て手に入れたよ。
だからこうやって旅してる余裕がある。
日本に帰ったら結婚相手を探して小さな家族を作ると思う。
ささやかでいいし、自然に囲まれて過ごしたい。
もう少し揉まれてからで良いかも知れないけどね」
と言ったのを当時の日記を読み返して思い出した。
そろそろ落ち着く頃じゃないかと
僕は自問自答しながら過ごしている。
やっぱりね、分け合ってなんぼ なんですよ。
楽しみや苦楽も、幸せも。
2012.01.09
死ぬまでにやりたい100のリスト
人生で一番大事にしたいことや本当にやりたいことを浮き彫りにする質問に以下がある。
What would you attempt to do if you knew you would not fail??
もし失敗しないと分かっていたら、何がやりたいですか??
僕の場合たくさんあるので100個書いてみた
1.自分の子供とサーフキャンプ
2.世界一周
3.おいしいフランス料理を3日連続で食べる
4.いい写真を撮れるようになる
5.空手で黒帯
6.イースター島のモアイの裏でサーフィン
7.自分の家にたくさんのお客さんを呼んでBBQ
8.いい波でチューブに入る
9.Physical Distance is just Metophorって言って口説く
10.自分の本を出す。タイトル「何が良くて何が大切か~自分で見て自分で決めよう」
11.禅寺に出家する
12.結婚式でサプライズダンス(M/Jぽく)
13.チベットで冬を過ごす
14.スペイン語で値段交渉
15.お米の仕事で金を稼ぐ
16.銀座で豪遊
17.パーカーとTバッ(略
18.家出カフェを開く
19.ヘリからサーファーに機関銃掃射
20.155mmりゅう弾砲を山に打ち込む
21.香港で朝から飲茶
22.ブラジルで採れたてのコーヒーの試飲
23.水族館でクラブイベント
24.ハンモックで読書
25.徒歩で山登り
26.K-dubと日本の防衛について語る
27.自衛隊経験者だけの組織を作る
28.モンゴルでゲルに住む
29.本屋さんにメアドを聞かれる
30.誰もいないところでお花見
31.空手の大会で金メダル
32.犬を飼う
33.シルクロードの旅
34.カヌーでユーコン川を下る
35.原付でベトナム縦断
36.変な人達だけで会社を作る
37.新島で1週間キャンプしながらサーフィン
38.ハワイでサーフィン
39.天皇陛下に会う
40.防波堤でカラオケ大会
41.新しい形のSNSを発明する
42.暖炉のある部屋で白熊の毛皮の上で読書
43.テディベアの製作・販売
44.大田ホルモン貸しきり
45.神社を買いとってパワースポットを自称する
46.フランスの美術館に行く
47.サルバドール・ダリのように時間という概念を覆す
48.安宿を経営する
49.イルカとサーフィン
50.バンガローに泊まってオーロラを観にいく
51.アラスカにシャケを釣りに行く
52.チベットを解放させる
53.日本のシチューのうまさを世界に広める
54.クリームパンをお腹いっぱい食べる
55.知らない人と知り合うための言葉を作る
56.モロッコで雑貨を買う
57.図書館丸ごとの知識が欲しい
58.オーストラリアの住んでた町に行く
59.ゴルフ場でキャンプ
60.風の谷、フンザに行く
61.スペインでおいしいワインを飲む
62.マチュピチュまで歩いて行く
63.イタリアでグルメ三昧
64.キューバで音楽を聴く
65.オンラインゲームでチームを組む
66.腹筋が切れるまで笑う
67.ゴアでレイヴパーティー
68.自然回帰を訴える
69.最高なソファーを買う
70.俺の思想を広める
71.アジア人の力を白人に見せ付ける
72.六本木ヒルズのペアシートで映画を観る
73.チャラス
74.日本人の真面目すぎる意識を変える
75.あいつやっぱりキチガイだよ、と言われ続ける
76.旅の写真を結婚式でスライドショー
77.ギリシャでカフェ巡り
78.世界中の人と語り合う
79.アメフトの試合を観にいく
80.芸術とアートに触れる生活をする
81.物を持たない
82.爆撃される
83.ミラノでカプチーノ飲む
84.朝一の海でヨガ
85.最新の電子ガジェットを使いこなす
86.焚き火で巨大マシュマロを焼く
87.大人気なさの追求
88.自転車で台湾一周
89.部屋にアクアリウム作る
90.木のサーフボード自作
91.100人以上に今までどんな人生を歩んだか聞く
92.水族館で一晩過ごす
93.好きなだけ寿司を握ってもらう
94.白人社会にアジア軍団で切り込む
95.戦争に行く(爆発物処理担当)
96.細マッチョになる
97.小さな信頼しあえる共同体を作る
98.誰かの第一歩の指針になる(あいつが変なことやって大丈夫なんだから俺もできるだろ)
99.迷子になって孤独になる
100.幸せを分け合う
色々書いてみて、なんとなく自分が何をしたいかってのを自分の中で整理ができた。
僕は今26歳で、それなりに色んなことをやってきて、それなりに型にはまりつつある年齢だけど常に
やりたいこと、やりたくないことをはっきり意識する必要があるんだな、と今回感じた。
仏教の世界では死は人生の一つの部分に過ぎないと教えられる。
時間っていう舟は行き先は有限だ 動き続けている限りは、
しかし止まった瞬間からが無限だ。
どうせなら生きてるうちに欲張りに楽しもうってのが
僕の哲学でもある。
人生っていう風船はやはり有限だ
しぼんでいく限りは、何度も膨らませることが出来るからこそ無限だ
だから死ぬまでにやりたい100のリストを書いてみた。
このうちの8割くらいは、今の環境を抜け出せば簡単に遂行できること。
さぁ、チャンスがあるぜ。準備してやってしまおう。
こういう時期が一番ワクワクするよね。
やっちまおうぜ!が今年のテーマ。
みなさんは
もし失敗しないと分かっていたら、何がやりたいですか??
2011.10.24
僕より若い人達へ
僕より若い人達へ
自戒の意味も含めて
僕より若いみなさん、今の生活に疑問を感じてませんか?何のために働いてるの?とかこれから自分はどうしたいんだ?とか、疑問に思いませんか?
一つの提案として、旅に出ることを お勧めしたい。
結論から言えば、
旅に出て帰ってきても何も状況は変わらない。
だけど物の見方は大きく変わる。
僕はいま27歳になりかけで、24歳の誕生日の後に会社を辞めた。
会社生活は僕には向かなくて毎日ストレスを抱えていた。今だから言えるけど一日の大半を会社の倉庫で筋トレ&ネットサーフィンに費やした。
勤務態度が悪くて上司とケンカもしたし、気に入らない先輩を投げ飛ばして一方的に殴ってしまったこともある。
その事をサーフィン繋がりの先輩に相談したら、 お前から頭下げて謝れないならお前の負けと言われた。
その時は意味がよく分からなかったけど、今なら分かる気がする。 (分からないかも)
なんで旅に出る決意したのかよく覚えてないけど、決意ってのはそんなに重要なものではないよ。
(俺の場合寝れば決意したことなんて忘れる)
一番重要なのは、後先考えずに一歩踏み出すことなんだよって今なら言える。
自分でリスクを背負って、新しい事に挑戦するって事がいかに勇敢な事なのか今なら分かる、し、多くの大人はそれを知っている。
計画は結構大事だった。例えば世界中の感染症とか治安情報の収集とか、宗教の知識とか、簡単な歴史とかタブーやマナーを調べまくった。
破傷風と肝炎の予防注射もした。
半年間で14カ国を回った。
タイで水掛祭り中にオカマにキスされた。
ハロン湾で真夜中の海に船から飛び込んだ。
海沿い港町でローカルの子供とひたすら遊んだ。
原付を借りて毎日乗り回してサーフィンに行った。
チベットのお寺で焚かれるバターのロウソクの匂いはまだ思い出せる。
焼かれる死体を見ながら人間はいつか必ず死ぬって事を強烈に認識した。
ここでは言えないような経験をたくさんした。
それは間違いなく自分自身が自分の目で見て、行ったもので、自分だけの宝物だ。
色んな生き方や、彼らの置かれた環境を見た。
例えばカンボジアの過去に起きたことだったり、ベトナムの戦争のことだったり
最高にハッピーな人たちを何人も見たし、一人ひとりこだわりを持った最高の生き様を見せ付けられてワクワクした。
持ち物はパスポートとカメラと下着とお気に入りのTシャツだけだった。
文庫本は日本人と物々交換したり、町の古本屋で見つけると買っていた。
本を読む時間はいくらでもあった。
ラオスでメコン川を見下ろしながらハンモックに揺られてビアラオを飲みながら本を読んで過ごした時間は最高だった。
毎日が新たな発見で、最高な日々の繰り返しだった。
ここに書いた事は僕だけの特権じゃなくて、日本国のパスポートを持っていれば 世界中好きなところに行ける。
誰でも少しの犠牲と少しの勇気を掛けるだけで得られるものは無限大だ。
もちろんリスクはたくさんある。お金を騙されたり、怪我したりとかあるけどもそういうのはしょうがない。
リスクと責任と、自由は全部自分の手に委ねられている。
時には血を流すこともあると思う。
旅に行って物の見方が大きく変わった。
誰かの言葉だけど、お金や所有物はそんなに大層なものでは無い事を実感した。
幸せが何かってのを孤独の中で見つけた。
好きな映画の中での言葉で
「Happiness only real when Shared」
(幸福は分け合ってこそ真になる)
という大好きな言葉がある。
もし、一歩日本から
それか自分の今いる環境から抜け出したら
すぐに自分で自分を管理する最高の時間が待っている。
世界中の行きたいところや、自分の好きな時間の過ごし方は全部自分で決められる。
どこに行くか分からなくなったら、適当にサイコロ振って決めればいい。
そこで会える人たちや、自分の目でしっかり見る現実は絶対に将来の宝になる。
だから、俺より若い人には(俺より心が若いと思ってる人も)
自分の環境から一歩外に出る若気の至りを持って欲しい。
もし少しでも旅に魅力を感じたら、是非ともパスポートを取得して
出発すればいい。すぐに。
世界は本当に広いし、世界中で素晴らしい奴らに会うチャンスを誰でも持っている。
若いんだから失敗は許される。俺より若いやつはあと5000回くらい失敗してもいいと思う。
とにかく、何事も挑戦しなければ一生交わらぬ平行線だ
孤独を知ったもの同士が、寄り添いあってこそ 幸せな関係が作れると僕は信じている。
帰ってきたら、
孤独をつまみにおいしい酒でも飲みましょう。
自戒の意味も含めて
僕より若いみなさん、今の生活に疑問を感じてませんか?何のために働いてるの?とかこれから自分はどうしたいんだ?とか、疑問に思いませんか?
一つの提案として、旅に出ることを お勧めしたい。
結論から言えば、
旅に出て帰ってきても何も状況は変わらない。
だけど物の見方は大きく変わる。
僕はいま27歳になりかけで、24歳の誕生日の後に会社を辞めた。
会社生活は僕には向かなくて毎日ストレスを抱えていた。今だから言えるけど一日の大半を会社の倉庫で筋トレ&ネットサーフィンに費やした。
勤務態度が悪くて上司とケンカもしたし、気に入らない先輩を投げ飛ばして一方的に殴ってしまったこともある。
その事をサーフィン繋がりの先輩に相談したら、 お前から頭下げて謝れないならお前の負けと言われた。
その時は意味がよく分からなかったけど、今なら分かる気がする。 (分からないかも)
なんで旅に出る決意したのかよく覚えてないけど、決意ってのはそんなに重要なものではないよ。
(俺の場合寝れば決意したことなんて忘れる)
一番重要なのは、後先考えずに一歩踏み出すことなんだよって今なら言える。
自分でリスクを背負って、新しい事に挑戦するって事がいかに勇敢な事なのか今なら分かる、し、多くの大人はそれを知っている。
計画は結構大事だった。例えば世界中の感染症とか治安情報の収集とか、宗教の知識とか、簡単な歴史とかタブーやマナーを調べまくった。
破傷風と肝炎の予防注射もした。
半年間で14カ国を回った。
タイで水掛祭り中にオカマにキスされた。
ハロン湾で真夜中の海に船から飛び込んだ。
海沿い港町でローカルの子供とひたすら遊んだ。
原付を借りて毎日乗り回してサーフィンに行った。
チベットのお寺で焚かれるバターのロウソクの匂いはまだ思い出せる。
焼かれる死体を見ながら人間はいつか必ず死ぬって事を強烈に認識した。
ここでは言えないような経験をたくさんした。
それは間違いなく自分自身が自分の目で見て、行ったもので、自分だけの宝物だ。
色んな生き方や、彼らの置かれた環境を見た。
例えばカンボジアの過去に起きたことだったり、ベトナムの戦争のことだったり
最高にハッピーな人たちを何人も見たし、一人ひとりこだわりを持った最高の生き様を見せ付けられてワクワクした。
持ち物はパスポートとカメラと下着とお気に入りのTシャツだけだった。
文庫本は日本人と物々交換したり、町の古本屋で見つけると買っていた。
本を読む時間はいくらでもあった。
ラオスでメコン川を見下ろしながらハンモックに揺られてビアラオを飲みながら本を読んで過ごした時間は最高だった。
毎日が新たな発見で、最高な日々の繰り返しだった。
ここに書いた事は僕だけの特権じゃなくて、日本国のパスポートを持っていれば 世界中好きなところに行ける。
誰でも少しの犠牲と少しの勇気を掛けるだけで得られるものは無限大だ。
もちろんリスクはたくさんある。お金を騙されたり、怪我したりとかあるけどもそういうのはしょうがない。
リスクと責任と、自由は全部自分の手に委ねられている。
時には血を流すこともあると思う。
旅に行って物の見方が大きく変わった。
誰かの言葉だけど、お金や所有物はそんなに大層なものでは無い事を実感した。
幸せが何かってのを孤独の中で見つけた。
好きな映画の中での言葉で
「Happiness only real when Shared」
(幸福は分け合ってこそ真になる)
という大好きな言葉がある。
もし、一歩日本から
それか自分の今いる環境から抜け出したら
すぐに自分で自分を管理する最高の時間が待っている。
世界中の行きたいところや、自分の好きな時間の過ごし方は全部自分で決められる。
どこに行くか分からなくなったら、適当にサイコロ振って決めればいい。
そこで会える人たちや、自分の目でしっかり見る現実は絶対に将来の宝になる。
だから、俺より若い人には(俺より心が若いと思ってる人も)
自分の環境から一歩外に出る若気の至りを持って欲しい。
もし少しでも旅に魅力を感じたら、是非ともパスポートを取得して
出発すればいい。すぐに。
世界は本当に広いし、世界中で素晴らしい奴らに会うチャンスを誰でも持っている。
若いんだから失敗は許される。俺より若いやつはあと5000回くらい失敗してもいいと思う。
とにかく、何事も挑戦しなければ一生交わらぬ平行線だ
孤独を知ったもの同士が、寄り添いあってこそ 幸せな関係が作れると僕は信じている。
帰ってきたら、
孤独をつまみにおいしい酒でも飲みましょう。
2011.08.28
Australia
最近よくオーストラリアのことを思い出すので
整理するために書きます。
僕は18,9歳の時にオーストラリアにワーキングホリデービザを利用して
約10ヶ月程度、暮らしていた。
目的は英語の習得。
行った理由は今考えてみればたくさんありますが、あえて言うならば
・田舎町の生活が嫌だった(小川町)
・自分から抜け出さないと一生このままの生活
・将来のナンパのネタのため
渡豪することは本当に賛否両論で
反対する人、俺の人格をディスる人、夢を見すぎだと言う人、死ぬから辞めろという人、そんなこと辞めて真面目に働けと言う人
また
応援してくれる人、小遣いくれるおじちゃん、泣いて送り出す彼女、ビッグになれよと言ってくれる人、行く理由なんか後付けでいいんだよ、とにかくやったもん勝ちだぜと言ってくれた先輩。
本当にいい人たちに巡りあった時期だと思います。
到着当初、まったく英語が分からず
とりあえず数日はノリで「なんとかなるさ」
という感じで過ごしていた。
実際どうにでもなって、僕はシドニーのバッパーで
イギリス人のDQN達と馬鹿騒ぎして
日本人の女性に人生初めての逆ナンされてワンナイスタンドしたり
緊張と楽しい日々を過ごしていた。
この数日間のシドニー滞在をノリで過ごした後
Alburyという田舎町(日本で言うところの岐阜県○○市的な存在)に移動した後から
今でも信じられないくらいの体験を僕は毎日した。
そこでは「どうにかなるさ」が全く通用せず
知らないと損をするのは自分で
英語しか通じなく、片言の英語では誰も相手をしてくれなく
判断を誤ると死ぬかもしれない緊張感が常にあった。
頼る相手がいないので、常に客観的に全てのことを分析して、言葉を選んで
自分で選択することが常に求められていたんだと思う。
田舎町Alburyでの生活では、本当にたくさんの人に恵まれた。
・バイト先の店長の香港人のDavidにやさしくしてもらい、いつも賄いの鳥の足とか、小豆を煮込んだ中華料理を食べさせて頂いたり(おかげで今では何を食ってもうまい。中華料理最強)
・毎日スケボーを持って近所のパークに滑りに行って、
高校生や中学生に、タバコをあげるからスケボーと英語を教えてくれと頼み込み。
若者達が喋るスラングの英語で、変な言葉をたくさん教わった。
・毎週、無い袖を振り、パブで知り合ったオーストラリア人にとにかく喋りかけて英語を教えてもらい
・100キロ先の街の日本人に英語の勉強方法や海外生活のコツを教えてもらい
・仲良くなった華僑の連中と夜遅くまで日本のAVを観たり
・トムの家にホームステイさせてもらったり、いつもご飯を頂いたり
・仲良くなった牧場の息子の家に何泊か泊めてもらい、トラックで羊を追い回したり
牧場はとてつもなく何も無くて、丘から見る夕日は綺麗だった。
・バイト先の偽日本食レストランではチャイニーズニューイヤーを祝いに
メルボルンまで4時間掛けてオンボロ車一台で社員旅行に行った時もあったり
・仲良くなった高校生の連中とキャンプして初めての悪い経験をしたり
・仲良くなった大学生に雪山の研究に何泊か連れて行ってもらったり
大学の人に頼んで授業を受けさせてもらったり(映画の講義が好きだった)
とにかく金がなくて、毎日腹が減っていて、実際すごい細かった。
バイトで得た僅かな金も、家賃払ったり、付き合いに金を使ったら残るはずも無く
でも、金を使うことによって得た友人もたくさんいたし、実際に良い金の使い方をすると自分に帰ってくることも学んだ。
毎晩少しだけ惣菜を買いにい寄った中華料理屋は、最後のほうは無料で食わせてくれた。
金が無い中、無理をして行ったオーストラリア縦断旅行では
金が尽きそうになって釣った魚と野草を焼いて食べた日があった。
大漁の日は焼いた魚を宿の人に売って小銭を稼いだ時もあった。
バス会社に直接行って、バスを洗うから10ドルくれと交渉したり
宿を掃除するから無料で泊めてくれと頼んだり
途中で本当に金が無くなって、ケアンズの観光客用のレストランでバイトもした。
とにかく金が必要だったので、日本人からは個人的にチップをたくさんもらった。
お釣りをちょろまかしたりはしない。ちゃんと言葉を選べば日本人はチップをくれる。
「オーストラリアではみなさん、直接ウェイターにチップを手渡すのが慣例です。テーブルには置かないでください。チップの目安は合計の20%ですね。」
これで短期間でかなりの金を稼いだ。物は言い様なのだということを学んだ。
情報は相手が知らなければ知らないほど自分が有利になることを学んだ。
交渉も相手の立場に立って考えれば、どこが分岐点なのか分かるようになった。
また、言葉と身だしなみ次第で手に入る金の額が変わるというのも知った。
一泊800円程度のドミトリーに泊まって
多くの大人の話相手になって、たくさんの話をした。
話をするには自分の知識と経験が全く足りずに若すぎるからと相手をされない時もあった。
それでも想像力を駆使して熱く語れば、何人かはこいつは面白いと感じてくれることも知った。
会話ってのは知識と情報と想像力で成り立つものなんだと今でも思う。
仲良くなった人は本当に多くのことを教えてくれた。色んな生き方があるんだなーと思った。
金は本当に無くて、毎日ヒモジイ思いをした。
あの時、今のように力や金や情報に物を言わせるやり方ができれば
またもう少し上手くやれると思うんだけど、若かったからしょうがない。
何も無かった。
なんとなく最近思い出すことが多いから、書いてみた。
日本での生活は本当に恵まれている。
もうあんな貧乏生活はしたくない、でもあの時は18,9歳で最高に楽しかった。
何をやっても楽しかった。
整理するために書きます。
僕は18,9歳の時にオーストラリアにワーキングホリデービザを利用して
約10ヶ月程度、暮らしていた。
目的は英語の習得。
行った理由は今考えてみればたくさんありますが、あえて言うならば
・田舎町の生活が嫌だった(小川町)
・自分から抜け出さないと一生このままの生活
・将来のナンパのネタのため
渡豪することは本当に賛否両論で
反対する人、俺の人格をディスる人、夢を見すぎだと言う人、死ぬから辞めろという人、そんなこと辞めて真面目に働けと言う人
また
応援してくれる人、小遣いくれるおじちゃん、泣いて送り出す彼女、ビッグになれよと言ってくれる人、行く理由なんか後付けでいいんだよ、とにかくやったもん勝ちだぜと言ってくれた先輩。
本当にいい人たちに巡りあった時期だと思います。
到着当初、まったく英語が分からず
とりあえず数日はノリで「なんとかなるさ」
という感じで過ごしていた。
実際どうにでもなって、僕はシドニーのバッパーで
イギリス人のDQN達と馬鹿騒ぎして
日本人の女性に人生初めての逆ナンされてワンナイスタンドしたり
緊張と楽しい日々を過ごしていた。
この数日間のシドニー滞在をノリで過ごした後
Alburyという田舎町(日本で言うところの岐阜県○○市的な存在)に移動した後から
今でも信じられないくらいの体験を僕は毎日した。
そこでは「どうにかなるさ」が全く通用せず
知らないと損をするのは自分で
英語しか通じなく、片言の英語では誰も相手をしてくれなく
判断を誤ると死ぬかもしれない緊張感が常にあった。
頼る相手がいないので、常に客観的に全てのことを分析して、言葉を選んで
自分で選択することが常に求められていたんだと思う。
田舎町Alburyでの生活では、本当にたくさんの人に恵まれた。
・バイト先の店長の香港人のDavidにやさしくしてもらい、いつも賄いの鳥の足とか、小豆を煮込んだ中華料理を食べさせて頂いたり(おかげで今では何を食ってもうまい。中華料理最強)
・毎日スケボーを持って近所のパークに滑りに行って、
高校生や中学生に、タバコをあげるからスケボーと英語を教えてくれと頼み込み。
若者達が喋るスラングの英語で、変な言葉をたくさん教わった。
・毎週、無い袖を振り、パブで知り合ったオーストラリア人にとにかく喋りかけて英語を教えてもらい
・100キロ先の街の日本人に英語の勉強方法や海外生活のコツを教えてもらい
・仲良くなった華僑の連中と夜遅くまで日本のAVを観たり
・トムの家にホームステイさせてもらったり、いつもご飯を頂いたり
・仲良くなった牧場の息子の家に何泊か泊めてもらい、トラックで羊を追い回したり
牧場はとてつもなく何も無くて、丘から見る夕日は綺麗だった。
・バイト先の偽日本食レストランではチャイニーズニューイヤーを祝いに
メルボルンまで4時間掛けてオンボロ車一台で社員旅行に行った時もあったり
・仲良くなった高校生の連中とキャンプして初めての悪い経験をしたり
・仲良くなった大学生に雪山の研究に何泊か連れて行ってもらったり
大学の人に頼んで授業を受けさせてもらったり(映画の講義が好きだった)
とにかく金がなくて、毎日腹が減っていて、実際すごい細かった。
バイトで得た僅かな金も、家賃払ったり、付き合いに金を使ったら残るはずも無く
でも、金を使うことによって得た友人もたくさんいたし、実際に良い金の使い方をすると自分に帰ってくることも学んだ。
毎晩少しだけ惣菜を買いにい寄った中華料理屋は、最後のほうは無料で食わせてくれた。
金が無い中、無理をして行ったオーストラリア縦断旅行では
金が尽きそうになって釣った魚と野草を焼いて食べた日があった。
大漁の日は焼いた魚を宿の人に売って小銭を稼いだ時もあった。
バス会社に直接行って、バスを洗うから10ドルくれと交渉したり
宿を掃除するから無料で泊めてくれと頼んだり
途中で本当に金が無くなって、ケアンズの観光客用のレストランでバイトもした。
とにかく金が必要だったので、日本人からは個人的にチップをたくさんもらった。
お釣りをちょろまかしたりはしない。ちゃんと言葉を選べば日本人はチップをくれる。
「オーストラリアではみなさん、直接ウェイターにチップを手渡すのが慣例です。テーブルには置かないでください。チップの目安は合計の20%ですね。」
これで短期間でかなりの金を稼いだ。物は言い様なのだということを学んだ。
情報は相手が知らなければ知らないほど自分が有利になることを学んだ。
交渉も相手の立場に立って考えれば、どこが分岐点なのか分かるようになった。
また、言葉と身だしなみ次第で手に入る金の額が変わるというのも知った。
一泊800円程度のドミトリーに泊まって
多くの大人の話相手になって、たくさんの話をした。
話をするには自分の知識と経験が全く足りずに若すぎるからと相手をされない時もあった。
それでも想像力を駆使して熱く語れば、何人かはこいつは面白いと感じてくれることも知った。
会話ってのは知識と情報と想像力で成り立つものなんだと今でも思う。
仲良くなった人は本当に多くのことを教えてくれた。色んな生き方があるんだなーと思った。
金は本当に無くて、毎日ヒモジイ思いをした。
あの時、今のように力や金や情報に物を言わせるやり方ができれば
またもう少し上手くやれると思うんだけど、若かったからしょうがない。
何も無かった。
なんとなく最近思い出すことが多いから、書いてみた。
日本での生活は本当に恵まれている。
もうあんな貧乏生活はしたくない、でもあの時は18,9歳で最高に楽しかった。
何をやっても楽しかった。
4月~9月までアジア各国を旅しました。
タイから始まって、ラオス、ベトナム
マレーシア、シンガポール
インドネシア、カンボジア、ネパール、チベット
インド、香港、台湾
そんな感じでトータル5ヶ月
どっぷりアジアに漬かって旅をし続けたわけですね。
タイのバンコクはすごく近代的だし、北部のパイはまったりしててすげー良かった
プーケットのカタビーチは最高の波に乗れたし、コ・サムイは過ごしやすかった
パイの山間ツーリングや、パイ温泉もチンチンサバーイだった
チェンマイのマッサージ屋は、ハッピーエンディングを勧めてきた
チンチン、チンチンサバーイなマッサージのことらしい。
ホンミーや、キム、ヨンミーなどなど、韓国人とやたら知り合った。
ありとあらゆる意味で楽 な国だと思った。いつかバンコクに住めたらいいと思う。
ラオスのルアンパバーンから見たメコン川は雄大だったし、毎日3杯飲んだフルーツジュースはとても新鮮でおいしかった。
現地の若者と知り合って、何とか族の女を買いに行こうと誘われたりもしたww
黒いから安いんだよってウケルww
ベトナムのハロンベイで夜泳いだし、サーフィンしに行ったビーチはどフラットで
バイクの量や、戦争の傷跡の残る雰囲気はとても衝撃的だった。
メコンデルタの原始的な暮らしはオレに合ってるのかも知れないなんて一瞬思った。
ウェイという名のベトナム人お姉さんと遊びに行ったりして楽しかった。
日本の女性のように、カテゴライズされた化粧をしないので、むかーしの日本人女性のように艶かしかった。
マレーシアのKLは、急激な経済発展を遂げている最中で、人々の暮らしは豊かになっていく途中でみんな活気に溢れていた。
マレー人、華僑、インド系が人口を占める多言語多民族国家でもある。
共通語はマレー語と英語で、華僑は広東語も喋るので生まれつき3ヶ国語を話してしまう。
AUSで一緒に生活したマークに再会できたのも良かったし、チェラティンビーチは最高のリラックスできる時間を提供してくれたビーチだった。泊まったバンガローも最高。
マジで星がキレイすぎてやられた。ゴムの木とか波の音とかヤバイ。
シンガポールの夜景はきれいだったし、水道水が久しぶりに飲めてビックリした。
とにかく街がきれいで、すごく安全だった。夜2時に一人で歩いても問題なし。
道を聞いたおばちゃんにクリスチャンにならないかって必死に勧誘されたww
オレがクリスチャンになると、吉野マイケル祐樹らしい。
マイケル・ジャクソンと同じでいいじゃんて言われたけど
彼は今イスラム教徒なのでミカエルだって言ったらショボーンとしてた。
物価がオーストラリア並みに高くて、結構行動が制限された。今度は贅沢に過ごしたい。
インドネシアはやっぱり波乗りが最高だった。
クタビーチに泊まって、毎日原付で波乗りをしに行く。
夜はクラブで世界中の女の人と知り合った。
ギリ島はちょっと歩けばスノーケリングが出来て、毎朝リーフでサーフィンして
まじで最高の島だった。ギリで知り合った5人でロンボクにサーフトリップ行ったり
危ない遊びや、沢山の事を経験した。
カンボジアのアンコールワットを中心とする遺跡群は、非常に興味を持った
また、奈美と知り合えたのもとても良かった。インテリは世界を制する。
遺跡で物を売る小さい子供達は数各語を話す事ができる。
生きるために何をすべきかを知っているカンボジア人は頭がいい。
アンコールワット遺跡群壁一面に意味を持った絵が描いてある。
プノンペンの収容所はポルポト時代の傷を多く保管する貴重な場所だ
撃たれて穴の開いた頭蓋骨を大量に積んで作ったキリングフィールドは、声が出なかった。
ネパールは着いた瞬間に涙が出るほど空がキレイだった。
圧倒的に空に近いと思った。ネパール雑貨も可愛いし、彼らの信仰する宗教も興味深かった
ゴチャゴチャした街の雰囲気も良くて、走ってる車も古すぎて面白かった。
山も恐ろしく高くてキレイすぎた。世界で一番日本食がうまい外国らしい。
確かに、オレもそう思う。
チベットは一番好きになった場所だった。
ネパールから首都ラサに向かう道は標高5500メートルって言う超高高度を6日間掛けて走り抜けて
高山病に悩まされながらも、本当に素敵な空や、山を満喫した。
チベットの空よりキレイな空を見たことがないし、これからも見ることはないだろう。
中国に抑圧されたチベット民を見て、独立の大切性を知ったし
チベット仏教がいかにチベットを支えているかを見た。
チベットは面白い。人生で一度は行く事をお勧めする。
できればラサだけでなく、ネパール~ラサ間を陸路で移動して欲しい。
インドは、、、、もう行かね。
人が犬に食われてた。焼いてる死体から体液がピューピュー出てた
焼けた人の頭を竹で叩いて割った時の篭った音と垂れ流れた脳ミソが焼けて蒸発する音は忘れられない。
死んだ人間と生きてる人間の徹底的な違いは「抵抗できるか、できないか」だと思った。
個人的に、抵抗すべき事に抵抗できないんだったら死んでるのと同じだ。と最近思う。
マカオの印象はCASINO CASINO CASINO!!だった。
ポルトガルに統治されていたので、ポルトガル風の建物や、教会がたくさんある。
今は中国に返還されてるけど国の生き残りをカジノに掛ける国てのもなかなか面白い。
カジノではスロットマシーンや、バカラをやった。
200HKドル勝ったので嬉しかった。
香港は文化のある国だと思った。
これもマカオと同じく中国に返還されている。
40歳以下の香港人はほぼ全員が英語を喋る。バイリンガルな国だ。
東京23区より小さい国なのに、数々の世界に誇る映画や
ブルースリーやジャッキーチェンを代表する俳優を出している。
狭い国なのに国民に不満は溜まってないように見えた。
香港の人たちはとても高い文化レベルで幸せそうな生活を送っているように見えた。
ローカルの学生達と知り合って、ほぼ毎日飲茶を食べに行った。
香港の料理は、世界で一番おいしいと思う。
帰国してから食べる中華料理は全て偽物に感じてしまう病気になった。
台湾は、とても日本に友好的な国だと思った。
国立故宮博物館に展示されてる象牙彫刻のレベルは
今まで見た彫刻の中で一番レベルの高いものだった。
知らないおじいちゃんに、必死でありがとうありがとうと中国語で言われた。
街には日本語教室の看板が溢れているし、日本の雑誌を真似て日本人に近づこうとする
台湾人はとても可愛いと思った。
台風の影響でサーフィンできなかったのが残念だった。
5ヶ月旅をするってのはやっぱり長いのかもしれない。
普通は3日間から10日間が一般的だ。
その分色々な危険も怪我もあったし
嬉しい事や、幸せな事、心底驚く事もいっぱいあった
なにより、全てが初めてで新鮮だった。
人から見たらどう変わったかは分からないけど
俺の中では何も変わった事はないつもりでいる。
ただ、今この時期に、壮大な遊び方や、素晴らしい時間の過ごし方をしたのは
今後、オレの人生において大きい影響を与えてくれると思う。
やっぱり、遊ぶんなら徹底的に大きく大きく遊ばないとね。
みんなのおかげで決断できて、支えられていた事に感謝。
そして、旅先で出会った全ての人に感謝。
また数年後に再会してより魅力的な人間になってるように、頑張っていきたい。
タイから始まって、ラオス、ベトナム
マレーシア、シンガポール
インドネシア、カンボジア、ネパール、チベット
インド、香港、台湾
そんな感じでトータル5ヶ月
どっぷりアジアに漬かって旅をし続けたわけですね。
タイのバンコクはすごく近代的だし、北部のパイはまったりしててすげー良かった
プーケットのカタビーチは最高の波に乗れたし、コ・サムイは過ごしやすかった
パイの山間ツーリングや、パイ温泉もチンチンサバーイだった
チェンマイのマッサージ屋は、ハッピーエンディングを勧めてきた
チンチン、チンチンサバーイなマッサージのことらしい。
ホンミーや、キム、ヨンミーなどなど、韓国人とやたら知り合った。
ありとあらゆる意味で楽 な国だと思った。いつかバンコクに住めたらいいと思う。
ラオスのルアンパバーンから見たメコン川は雄大だったし、毎日3杯飲んだフルーツジュースはとても新鮮でおいしかった。
現地の若者と知り合って、何とか族の女を買いに行こうと誘われたりもしたww
黒いから安いんだよってウケルww
ベトナムのハロンベイで夜泳いだし、サーフィンしに行ったビーチはどフラットで
バイクの量や、戦争の傷跡の残る雰囲気はとても衝撃的だった。
メコンデルタの原始的な暮らしはオレに合ってるのかも知れないなんて一瞬思った。
ウェイという名のベトナム人お姉さんと遊びに行ったりして楽しかった。
日本の女性のように、カテゴライズされた化粧をしないので、むかーしの日本人女性のように艶かしかった。
マレーシアのKLは、急激な経済発展を遂げている最中で、人々の暮らしは豊かになっていく途中でみんな活気に溢れていた。
マレー人、華僑、インド系が人口を占める多言語多民族国家でもある。
共通語はマレー語と英語で、華僑は広東語も喋るので生まれつき3ヶ国語を話してしまう。
AUSで一緒に生活したマークに再会できたのも良かったし、チェラティンビーチは最高のリラックスできる時間を提供してくれたビーチだった。泊まったバンガローも最高。
マジで星がキレイすぎてやられた。ゴムの木とか波の音とかヤバイ。
シンガポールの夜景はきれいだったし、水道水が久しぶりに飲めてビックリした。
とにかく街がきれいで、すごく安全だった。夜2時に一人で歩いても問題なし。
道を聞いたおばちゃんにクリスチャンにならないかって必死に勧誘されたww
オレがクリスチャンになると、吉野マイケル祐樹らしい。
マイケル・ジャクソンと同じでいいじゃんて言われたけど
彼は今イスラム教徒なのでミカエルだって言ったらショボーンとしてた。
物価がオーストラリア並みに高くて、結構行動が制限された。今度は贅沢に過ごしたい。
インドネシアはやっぱり波乗りが最高だった。
クタビーチに泊まって、毎日原付で波乗りをしに行く。
夜はクラブで世界中の女の人と知り合った。
ギリ島はちょっと歩けばスノーケリングが出来て、毎朝リーフでサーフィンして
まじで最高の島だった。ギリで知り合った5人でロンボクにサーフトリップ行ったり
危ない遊びや、沢山の事を経験した。
カンボジアのアンコールワットを中心とする遺跡群は、非常に興味を持った
また、奈美と知り合えたのもとても良かった。インテリは世界を制する。
遺跡で物を売る小さい子供達は数各語を話す事ができる。
生きるために何をすべきかを知っているカンボジア人は頭がいい。
アンコールワット遺跡群壁一面に意味を持った絵が描いてある。
プノンペンの収容所はポルポト時代の傷を多く保管する貴重な場所だ
撃たれて穴の開いた頭蓋骨を大量に積んで作ったキリングフィールドは、声が出なかった。
ネパールは着いた瞬間に涙が出るほど空がキレイだった。
圧倒的に空に近いと思った。ネパール雑貨も可愛いし、彼らの信仰する宗教も興味深かった
ゴチャゴチャした街の雰囲気も良くて、走ってる車も古すぎて面白かった。
山も恐ろしく高くてキレイすぎた。世界で一番日本食がうまい外国らしい。
確かに、オレもそう思う。
チベットは一番好きになった場所だった。
ネパールから首都ラサに向かう道は標高5500メートルって言う超高高度を6日間掛けて走り抜けて
高山病に悩まされながらも、本当に素敵な空や、山を満喫した。
チベットの空よりキレイな空を見たことがないし、これからも見ることはないだろう。
中国に抑圧されたチベット民を見て、独立の大切性を知ったし
チベット仏教がいかにチベットを支えているかを見た。
チベットは面白い。人生で一度は行く事をお勧めする。
できればラサだけでなく、ネパール~ラサ間を陸路で移動して欲しい。
インドは、、、、もう行かね。
人が犬に食われてた。焼いてる死体から体液がピューピュー出てた
焼けた人の頭を竹で叩いて割った時の篭った音と垂れ流れた脳ミソが焼けて蒸発する音は忘れられない。
死んだ人間と生きてる人間の徹底的な違いは「抵抗できるか、できないか」だと思った。
個人的に、抵抗すべき事に抵抗できないんだったら死んでるのと同じだ。と最近思う。
マカオの印象はCASINO CASINO CASINO!!だった。
ポルトガルに統治されていたので、ポルトガル風の建物や、教会がたくさんある。
今は中国に返還されてるけど国の生き残りをカジノに掛ける国てのもなかなか面白い。
カジノではスロットマシーンや、バカラをやった。
200HKドル勝ったので嬉しかった。
香港は文化のある国だと思った。
これもマカオと同じく中国に返還されている。
40歳以下の香港人はほぼ全員が英語を喋る。バイリンガルな国だ。
東京23区より小さい国なのに、数々の世界に誇る映画や
ブルースリーやジャッキーチェンを代表する俳優を出している。
狭い国なのに国民に不満は溜まってないように見えた。
香港の人たちはとても高い文化レベルで幸せそうな生活を送っているように見えた。
ローカルの学生達と知り合って、ほぼ毎日飲茶を食べに行った。
香港の料理は、世界で一番おいしいと思う。
帰国してから食べる中華料理は全て偽物に感じてしまう病気になった。
台湾は、とても日本に友好的な国だと思った。
国立故宮博物館に展示されてる象牙彫刻のレベルは
今まで見た彫刻の中で一番レベルの高いものだった。
知らないおじいちゃんに、必死でありがとうありがとうと中国語で言われた。
街には日本語教室の看板が溢れているし、日本の雑誌を真似て日本人に近づこうとする
台湾人はとても可愛いと思った。
台風の影響でサーフィンできなかったのが残念だった。
5ヶ月旅をするってのはやっぱり長いのかもしれない。
普通は3日間から10日間が一般的だ。
その分色々な危険も怪我もあったし
嬉しい事や、幸せな事、心底驚く事もいっぱいあった
なにより、全てが初めてで新鮮だった。
人から見たらどう変わったかは分からないけど
俺の中では何も変わった事はないつもりでいる。
ただ、今この時期に、壮大な遊び方や、素晴らしい時間の過ごし方をしたのは
今後、オレの人生において大きい影響を与えてくれると思う。
やっぱり、遊ぶんなら徹底的に大きく大きく遊ばないとね。
みんなのおかげで決断できて、支えられていた事に感謝。
そして、旅先で出会った全ての人に感謝。
また数年後に再会してより魅力的な人間になってるように、頑張っていきたい。