上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2011.08.28 Australia
最近よくオーストラリアのことを思い出すので
整理するために書きます。



僕は18,9歳の時にオーストラリアにワーキングホリデービザを利用して
約10ヶ月程度、暮らしていた。


目的は英語の習得。
行った理由は今考えてみればたくさんありますが、あえて言うならば
・田舎町の生活が嫌だった(小川町)
・自分から抜け出さないと一生このままの生活
・将来のナンパのネタのため


渡豪することは本当に賛否両論で
反対する人、俺の人格をディスる人、夢を見すぎだと言う人、死ぬから辞めろという人、そんなこと辞めて真面目に働けと言う人

また

応援してくれる人、小遣いくれるおじちゃん、泣いて送り出す彼女、ビッグになれよと言ってくれる人、行く理由なんか後付けでいいんだよ、とにかくやったもん勝ちだぜと言ってくれた先輩。
本当にいい人たちに巡りあった時期だと思います。



到着当初、まったく英語が分からず
とりあえず数日はノリで「なんとかなるさ」
という感じで過ごしていた。
実際どうにでもなって、僕はシドニーのバッパーで
イギリス人のDQN達と馬鹿騒ぎして
日本人の女性に人生初めての逆ナンされてワンナイスタンドしたり
緊張と楽しい日々を過ごしていた。


この数日間のシドニー滞在をノリで過ごした後
Alburyという田舎町(日本で言うところの岐阜県○○市的な存在)に移動した後から
今でも信じられないくらいの体験を僕は毎日した。


そこでは「どうにかなるさ」が全く通用せず
知らないと損をするのは自分で
英語しか通じなく、片言の英語では誰も相手をしてくれなく
判断を誤ると死ぬかもしれない緊張感が常にあった。

頼る相手がいないので、常に客観的に全てのことを分析して、言葉を選んで
自分で選択することが常に求められていたんだと思う。


田舎町Alburyでの生活では、本当にたくさんの人に恵まれた。


・バイト先の店長の香港人のDavidにやさしくしてもらい、いつも賄いの鳥の足とか、小豆を煮込んだ中華料理を食べさせて頂いたり(おかげで今では何を食ってもうまい。中華料理最強)


・毎日スケボーを持って近所のパークに滑りに行って、
高校生や中学生に、タバコをあげるからスケボーと英語を教えてくれと頼み込み。
若者達が喋るスラングの英語で、変な言葉をたくさん教わった。


・毎週、無い袖を振り、パブで知り合ったオーストラリア人にとにかく喋りかけて英語を教えてもらい

・100キロ先の街の日本人に英語の勉強方法や海外生活のコツを教えてもらい

・仲良くなった華僑の連中と夜遅くまで日本のAVを観たり

・トムの家にホームステイさせてもらったり、いつもご飯を頂いたり


・仲良くなった牧場の息子の家に何泊か泊めてもらい、トラックで羊を追い回したり
牧場はとてつもなく何も無くて、丘から見る夕日は綺麗だった。


・バイト先の偽日本食レストランではチャイニーズニューイヤーを祝いに
メルボルンまで4時間掛けてオンボロ車一台で社員旅行に行った時もあったり


・仲良くなった高校生の連中とキャンプして初めての悪い経験をしたり


・仲良くなった大学生に雪山の研究に何泊か連れて行ってもらったり
大学の人に頼んで授業を受けさせてもらったり(映画の講義が好きだった)


とにかく金がなくて、毎日腹が減っていて、実際すごい細かった。
バイトで得た僅かな金も、家賃払ったり、付き合いに金を使ったら残るはずも無く


でも、金を使うことによって得た友人もたくさんいたし、実際に良い金の使い方をすると自分に帰ってくることも学んだ。
毎晩少しだけ惣菜を買いにい寄った中華料理屋は、最後のほうは無料で食わせてくれた。


金が無い中、無理をして行ったオーストラリア縦断旅行では
金が尽きそうになって釣った魚と野草を焼いて食べた日があった。


大漁の日は焼いた魚を宿の人に売って小銭を稼いだ時もあった。
バス会社に直接行って、バスを洗うから10ドルくれと交渉したり
宿を掃除するから無料で泊めてくれと頼んだり


途中で本当に金が無くなって、ケアンズの観光客用のレストランでバイトもした。
とにかく金が必要だったので、日本人からは個人的にチップをたくさんもらった。
お釣りをちょろまかしたりはしない。ちゃんと言葉を選べば日本人はチップをくれる。

「オーストラリアではみなさん、直接ウェイターにチップを手渡すのが慣例です。テーブルには置かないでください。チップの目安は合計の20%ですね。」


これで短期間でかなりの金を稼いだ。物は言い様なのだということを学んだ。
情報は相手が知らなければ知らないほど自分が有利になることを学んだ。

交渉も相手の立場に立って考えれば、どこが分岐点なのか分かるようになった。
また、言葉と身だしなみ次第で手に入る金の額が変わるというのも知った。


一泊800円程度のドミトリーに泊まって
多くの大人の話相手になって、たくさんの話をした。

話をするには自分の知識と経験が全く足りずに若すぎるからと相手をされない時もあった。
それでも想像力を駆使して熱く語れば、何人かはこいつは面白いと感じてくれることも知った。

会話ってのは知識と情報と想像力で成り立つものなんだと今でも思う。

仲良くなった人は本当に多くのことを教えてくれた。色んな生き方があるんだなーと思った。


金は本当に無くて、毎日ヒモジイ思いをした。
あの時、今のように力や金や情報に物を言わせるやり方ができれば
またもう少し上手くやれると思うんだけど、若かったからしょうがない。
何も無かった。



なんとなく最近思い出すことが多いから、書いてみた。

日本での生活は本当に恵まれている。
もうあんな貧乏生活はしたくない、でもあの時は18,9歳で最高に楽しかった。
何をやっても楽しかった。
スポンサーサイト
Secret

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。