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2009.08.29
思ったこと
まず、全てが清潔。トイレも道もゴミ一つなく清掃が行き届いている。
人々は綺麗に着飾っていて、電車内は話し声も聞こえずとても静かだった。
電車の席も、お互いが目を合わさずにアイコンタクトで席を譲り合っていた。
椅子を詰めた人も、目を合わせずにただ移動して席を開けた。
譲られた方は席をせっかく開けてもらったのに恥ずかしそうに遠慮していた。
遠慮って言う表現じゃないな。。うーん。Hesitate?
とにかく、一瞬恥ずかしそうな表情をしたのが印象的だった。
レストランのサービスが完璧すぎるほどだった。
ショッピングモールのハンバーグ屋さんは、肉の種類から
食べ方、焼き加減、ソースの種類、全てを丁寧に教えてくれた。
また「お熱いのでお気をつけてください」とエプロンを掛けるように言った
食べ終わると、プラスチックの袋を半分剥いた状態でオシボリを手渡してくれた。
ベトナムでシーフードBBQを食べて、手がベタベタしてたらオシボリを持ってきてくれた。
手で隠れてる部分の袋には200ドンと書いてあって、お金を取られたけど、日本では全て無料だ。
日本のウェイターは水を何回も差し替えてくれたけどチップを要求してこなかった。
実家に帰ってきて、実家周辺はとてもリラックスしていて良いところだと思った。
田んぼも綺麗だし、空も水色が鮮やかでとても薄い色で綺麗だった。
タイの北部の山間にパイって言う村があるけど、そこに似ていると思った。
日本には和という言葉があるけど(英語ではハーモニー)
正直、とても違和感を感じている。
日本では複数人で行動をする時、それは一つの和が出来上がる(コミュニティー)
例えば、
オレが友達とご飯を食べに行ったり、飲んだりしている時に、他人が話しかけてきたとする。
その他人は、俺らとコミュニケーションを取るために、絶対必要な条件は
まず、俺らの和(全体)に認められて、和に入らないといけない。
(誰がボス?)
そして多対多の場合どうなる?お互い和から出ようとしないんじゃないかな。
旅先で同じケースがあったけど、その場合はその人に興味のある人が
喋れば良い。興味がない人は無視すればいい。それでオーケー
とても一人一人が独立している。個人主義(なんか違うな)が当たり前だ。
日本では、新しい人と知り合うのが難しい。と思った。
クラブとかに行って、知らない人と話をすることが多かったけど
それは日本ではいわゆるナンパと言われてしまう行為だ。
ナンパしてるつもりなんてない。しかし他人に話すという行為は
相手が異性の場合では立派なナンパという名前の付くほど(一般的に)イメージの悪い行為だ。
また、一度コミュニティーに入った人間には何をしてもいいと勘違いしてしまう人もいる
同じ和の中でも、個人を尊重するべきだし、プライバシーを侵害していいものではない。
親しき仲にも礼儀あり。と言う言葉なんて、当たり前の事だと思う。
日本語、というか日本人同士のコミュニケーションて言うのはすごく曖昧なものだと思った。
まず、年寄りは、より曖昧な言葉を話す。話が理解できなくても、相槌を打つ。
これはとても危険なことだし、場合によっては失礼なことだなーと思った。
そもそも日本語自体が曖昧にできている。同時に機能的だと思う。
敬語というのは、言葉と態度を曖昧にするためにあるんじゃないかと思う。
村上龍が言ってたけど、英語では「あなた」という言葉は「You」しかない
I love youと言う時には、感情を込めてYouと言わなければ言わないし
Fuck Youという時は憎しみを込めてYouを言わなければいけない。
またI love youと言う以上、愛を示す行動も付かなければ、それは伝わらない。
インポじゃダメってことですね。なんちゃって
敬語を使えば、自分の感情はいくらでも隠せる。
昔、夏目漱石が女に愛を伝える時に、縁側にお互い座って
「あなたといると、月がとても綺麗に見えます」と言ったらしい。
外人には絶対に分からない照れを隠した愛の表現方法だ。
日本語は機能的だと言ったのは、感情を隠せるから機能的だと思う。
尊敬なんてしてなくても、敬語をうまく使えば、表面上は一応聞こえはいい。
外人には本音と建前を使い分ける国民だと思われている。
感情を隠して言葉を喋るんだから当たり前だ
「結構です」て言葉は最強の言葉だと思う。
イエスでもあるしノーでもある。イエスでもなくノーでもない。
日本に帰ってきてから、とにかく言葉が曖昧だと思った。
何を言いたいのか、どこまで理解したのか、何を隠しているのか全く分からない。
日本のこの文化にまだ慣れないけど(逆カルチャーショック)
慣れたらすごく快適に住めるんだろうな。
まだあまり慣れない。
出る杭は打たれる
日本に帰ってきてそんなことを思った。
人々は綺麗に着飾っていて、電車内は話し声も聞こえずとても静かだった。
電車の席も、お互いが目を合わさずにアイコンタクトで席を譲り合っていた。
椅子を詰めた人も、目を合わせずにただ移動して席を開けた。
譲られた方は席をせっかく開けてもらったのに恥ずかしそうに遠慮していた。
遠慮って言う表現じゃないな。。うーん。Hesitate?
とにかく、一瞬恥ずかしそうな表情をしたのが印象的だった。
レストランのサービスが完璧すぎるほどだった。
ショッピングモールのハンバーグ屋さんは、肉の種類から
食べ方、焼き加減、ソースの種類、全てを丁寧に教えてくれた。
また「お熱いのでお気をつけてください」とエプロンを掛けるように言った
食べ終わると、プラスチックの袋を半分剥いた状態でオシボリを手渡してくれた。
ベトナムでシーフードBBQを食べて、手がベタベタしてたらオシボリを持ってきてくれた。
手で隠れてる部分の袋には200ドンと書いてあって、お金を取られたけど、日本では全て無料だ。
日本のウェイターは水を何回も差し替えてくれたけどチップを要求してこなかった。
実家に帰ってきて、実家周辺はとてもリラックスしていて良いところだと思った。
田んぼも綺麗だし、空も水色が鮮やかでとても薄い色で綺麗だった。
タイの北部の山間にパイって言う村があるけど、そこに似ていると思った。
日本には和という言葉があるけど(英語ではハーモニー)
正直、とても違和感を感じている。
日本では複数人で行動をする時、それは一つの和が出来上がる(コミュニティー)
例えば、
オレが友達とご飯を食べに行ったり、飲んだりしている時に、他人が話しかけてきたとする。
その他人は、俺らとコミュニケーションを取るために、絶対必要な条件は
まず、俺らの和(全体)に認められて、和に入らないといけない。
(誰がボス?)
そして多対多の場合どうなる?お互い和から出ようとしないんじゃないかな。
旅先で同じケースがあったけど、その場合はその人に興味のある人が
喋れば良い。興味がない人は無視すればいい。それでオーケー
とても一人一人が独立している。個人主義(なんか違うな)が当たり前だ。
日本では、新しい人と知り合うのが難しい。と思った。
クラブとかに行って、知らない人と話をすることが多かったけど
それは日本ではいわゆるナンパと言われてしまう行為だ。
ナンパしてるつもりなんてない。しかし他人に話すという行為は
相手が異性の場合では立派なナンパという名前の付くほど(一般的に)イメージの悪い行為だ。
また、一度コミュニティーに入った人間には何をしてもいいと勘違いしてしまう人もいる
同じ和の中でも、個人を尊重するべきだし、プライバシーを侵害していいものではない。
親しき仲にも礼儀あり。と言う言葉なんて、当たり前の事だと思う。
日本語、というか日本人同士のコミュニケーションて言うのはすごく曖昧なものだと思った。
まず、年寄りは、より曖昧な言葉を話す。話が理解できなくても、相槌を打つ。
これはとても危険なことだし、場合によっては失礼なことだなーと思った。
そもそも日本語自体が曖昧にできている。同時に機能的だと思う。
敬語というのは、言葉と態度を曖昧にするためにあるんじゃないかと思う。
村上龍が言ってたけど、英語では「あなた」という言葉は「You」しかない
I love youと言う時には、感情を込めてYouと言わなければ言わないし
Fuck Youという時は憎しみを込めてYouを言わなければいけない。
またI love youと言う以上、愛を示す行動も付かなければ、それは伝わらない。
インポじゃダメってことですね。なんちゃって
敬語を使えば、自分の感情はいくらでも隠せる。
昔、夏目漱石が女に愛を伝える時に、縁側にお互い座って
「あなたといると、月がとても綺麗に見えます」と言ったらしい。
外人には絶対に分からない照れを隠した愛の表現方法だ。
日本語は機能的だと言ったのは、感情を隠せるから機能的だと思う。
尊敬なんてしてなくても、敬語をうまく使えば、表面上は一応聞こえはいい。
外人には本音と建前を使い分ける国民だと思われている。
感情を隠して言葉を喋るんだから当たり前だ
「結構です」て言葉は最強の言葉だと思う。
イエスでもあるしノーでもある。イエスでもなくノーでもない。
日本に帰ってきてから、とにかく言葉が曖昧だと思った。
何を言いたいのか、どこまで理解したのか、何を隠しているのか全く分からない。
日本のこの文化にまだ慣れないけど(逆カルチャーショック)
慣れたらすごく快適に住めるんだろうな。
まだあまり慣れない。
出る杭は打たれる
日本に帰ってきてそんなことを思った。
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